「返還」の先に描く、沖縄の新たな心臓部——宜野湾市が挑む「ガーデンシティ」への旅

宜野湾市(沖縄県)ーー1718ニホン探索(40/1,718)

嘉数高台公園から眺める「普天間飛行場」

嘉数高台公園入口のがじゅまる

「1718ニホン探索」の旅も、ついに40カ所目の節目を迎えました。今回訪れたのは、沖縄県宜野湾市。かつて私がユーグレナの創業メンバーとして、石垣島には永く足を運んできた為、この沖縄の地には格別の縁を感じます。

宜野湾市役所で今回お話を伺ったのは、基地政策部まち未来課の皆さん。普天間基地の返還と言う大きなイベントを前に、未来を切り拓こうとする彼らの熱意が、インタビューを通じて私の心に強く響きました。

訪問先のオリジナルソングを作っています。ぜひブログと共にお楽しみください。

Yo, G-Town... 098...
これは俺たちの物語(ストーリー)。
「ねたての都市」から鳴らすこのBeat.
どこまでも届かせようぜ、宜野湾の風。

始まりはいつも東海岸(あがり)のサンライズ
真栄原(まえはら)の坂道、加速するデバイス
「あきさみよー」って驚くほど速い時代の流れ
乗り遅れるなよ、この街の熱い風
志真志(しまし)に長田(ながた)、学生たちのエネルギー
琉大、国際、キャンパスが作るシナジー
教科書にはない、現場で学ぶStyle
宜野湾(ぎのわん)のストリート、絶えないSmile
「しにデージ」美味いもん、この街に溢れてる
「タコス専門店メキシコ」の味に酔いしれる
大山(おおやま)の家具通り、ヴィンテージの風合い
古き良きもの、大切に繋ぐ未来
トロピカルビーチ、砂浜でChill out
サンセット眺め、仲間と語り合う
コンベンションセンター、イベントの興奮
余韻に浸りながら、58(ガッパチ)をクルーズ
Oh... 我した島(わしたしま) 宜野湾
羽衣(はごろも)舞う空に、夢を描こう
「いちゃりばちょーでー」 繋がるこの絆
どこにいたって、心はここにあるさ
G-TOWN PRIDE!(G-TOWN PRIDE!)
止まらない風、吹かせていこうぜ
「はごろも祭り」のカチャーシー、鳴り響く三線(さんしん)
伝統と革新、交わるこの瞬間(とき)に
「わったーが宜野湾、まぎーな夢掴む」
謙虚だけど強気、心に火を灯す
大謝名(おおじゃな)から愛知(あいち)、我如古(がねこ)へパス
地元愛(Local love)を詰め込み、ビートを飛ばす
何年経っても、色褪せないMy hometown
この街が誇り、We never slow down
昨日(きのう)より今日、今日より明日
この街の景色を、もっと輝かそう
誰にも真似できない、俺たちの歩幅
宜野湾の未来へ、続くこの坂道

Oh... 我した島 宜野湾
羽衣舞う空に、夢を描こう
「いちゃりばちょーでー」 繋がるこの絆
どこにいたって、心はここにあるさ
G-TOWN PRIDE!(G-TOWN PRIDE!)
止まらない風、吹かせていこうぜ
宜野湾、最高だろ?
宇地泊(うちどまり)、真志喜(ましき)、大山、宜野湾、喜友名(きゆな)...
全ての道が、俺たちの誇りに繋がってる。
Keep walking, G-TOWN...
098 Vibes...
Peace out.

「基地の街」から「健康医療の拠点」へ

宜野湾市を語る上で、米軍基地の問題は避けて通れません。市域の約4分の1、普天間飛行場とキャンプ瑞慶覧を合わせれば、なんと市の面積の約3割を基地が占めています 市のど真ん中に広大な空間が「空白」として存在しているのです。

しかし、その「空白」が今、劇的な変化を遂げようとしています。今回メインでお話を伺ったのは、2015年に返還された「西普天間住宅地区」の跡地利用についてです。かつて米軍の幹部クラスが住んでいた約51ヘクタールの土地は、今、「沖縄健康医療拠点」へと姿を変えています。

象徴的なのは、西原町から移転してきた琉球大学医学部と同附属病院です。単に病院が建つだけではありません。病院前の「モデル街区」には商業施設が並び、周辺には住宅地や、市民の切実な願いであった公営墓地も整備されています。

印象的だったのは、地権者の方々との合意形成の物語です。沖縄の基地は、本土の国有地中心の基地とは異なり、その多くが民有地です。西普天間だけでも元々600人の地権者がいらっしゃいました。 「軍用地料が入らなくなるのは困る」という声や、「返還後の土地をどう活用するか」という不安。それら一つひとつに寄り添い、区画整理を進めてきた職員の方々の苦労は、並大抵のものではありません。現在、地権者は約300人にまで集約されたそうですが、そこに至るまでの「対話の積み重ね」こそが、街づくりの土台になっているのだと痛感しました。

西普天間住宅地区の再開発で「沖縄健康医療拠点」が。

失われた地名を刻む「アンナ橋」の祈り

再開発エリアの中で、ひときわ目を引く構造物があります。それが「アンナ橋(安仁屋橋)」です。

この橋の名前には、深い歴史が刻まれています。かつてここには「安仁屋(あにや)」という集落がありましたが、基地の接収によって地名もろとも地図から消えてしまいました。返還によって、数十年の時を経てようやく「安仁屋」が故郷に戻ってきた。その象徴として、方言の呼び名である「アンナ」を橋の名に冠したのです。

この橋、実は技術的にも非常にユニークです。橋の下を流れる「イシジャー」という谷には貴重な動植物が生息しているため、環境を壊さないよう「上から吊って組み立てる」という特殊な工法(ニールセンローゼ橋)が採用されました。さらに、沖縄特有の塩害を防ぐためにボルトを一本も使わず、すべて溶接で仕上げているというから驚きです。

「夜間の照明も、虫への影響を考えてフットライト中心にしているんです」

そう語る担当者の方の眼差しに、私は「ニホンノチカラ」の真髄を見ました。最先端の技術を駆使しながらも、守るべき自然と歴史をないがしろにしない。このバランス感覚こそが、これからの日本の地方創生に必要な「優しさ」ではないでしょうか。

港湾エリアには、商業施設、コンベンションセンター、マリーナ、ビーチ等市民の憩いの場が集積しています。

普天間飛行場跡地——世界に誇る「ガーデンシティ」を目指して

そして、話はいよいよ本丸である「普天間飛行場」の跡地利用へと及びます。 世界一危険とも称されるこの飛行場が返還された後、宜野湾市はそこに「大規模公園を核としたガーデンシティ」を構築する構想を掲げています。(現時点の計画)

那覇、沖縄市と並ぶ沖縄の三大拠点として、鉄軌道(モノレールの延伸や新たな鉄道構想)の導入も見据えたダイナミックな都市計画。しかし、そこには特有の難しさもあります。 「現状は基地内に入れないため、詳細な調査ができないまま計画を立てざるを得ないんです」

地下には鍾乳洞があるかもしれない。地盤はどうなっているのか。不確定要素が多い中で、それでも「いつか必ず帰ってくる日」のために、彼らはプランを「ローリング(更新)」し続けています。

返還の時期は、辺野古への移設問題などもあり、いまだ不透明です。しかし、宜野湾市の方々は決して立ち止まりません。「準備をしておかなければ、返還された時にすぐに動けない」。その不屈の精神に、私は経営者として、そして一人の日本人として深く敬意を表します。

58号線沿いにはアメリカ文化に影響を受けた「大山アンティーク通り」等、歴史を感じる事が出来るエリアが。

訪問を終えて

今回の訪問で、私は改めて確信しました。 「地方発!日本再生」の鍵は、埋もれた土地や技術、そして失われた歴史を、現代の価値観でどう「再定義」するかにあります。

宜野湾市が基地という重い歴史を背負いながら、それを「健康」と「緑」に満ちた未来へと変換しようとする姿。それは、停滞する日本全体への大きなエールです。 普天間の広大な土地が、いつの日か市民の笑顔と緑で埋め尽くされる。その日が来るまで、私も微力ながらこの旅を通じて、彼らの挑戦を応援し続けたいと思います。

沖縄の青い空の下、宜野湾の未来は、間違いなく輝き始めています。

「普天満宮」本殿奥にある洞窟参拝が人気

宜野湾市の情報まとめ

沖縄県の本島中南部に位置する、人口約10万人の都市。市の中央部に「普天間飛行場」、北部に「キャンプ瑞慶覧」を抱え、市域の約33%を米軍基地が占める。一方で、西海岸地域は沖縄コンベンションセンターを中心に、観光・商業・リゾートが融合した発展を遂げている。

産業:基地関連収入に加え、西海岸の観光業、MICE産業が盛ん。また、琉球大学病院の移転に伴い、健康・医療関連産業の集積が期待されている。

文化・観光:琉球八社の一つ「普天満宮」や、美しい夕日が望める「ぎのわんトロピカルビーチ」が有名。伝統的な「宜野湾はごろも祭り」は市民に親しまれている。

グルメ:タコスやステーキなど、アメリカ文化の影響を受けた独自の食文化が根付いている。また、沖縄そばの名店も多く、地元客と観光客で賑わう。

今回お話を伺った方

宜野湾市役所 基地政策部まち未来課 担当者様 普天間飛行場およびキャンプ瑞慶覧の跡地利用計画を担う最前線の部署。西普天間住宅地区の区画整理や、将来の普天間飛行場跡地の「中間取りまとめ」策定など、沖縄の未来を左右する国家規模のプロジェクトに日々向き合っている。

筆者プロフィール

福本 拓元(ふくもと たくゆき) 株式会社ニホンノチカラ 代表取締役。1975年愛媛県生まれ。18歳で渡米し、異文化の中で「日本の価値」を再認識。帰国後、株式会社ユーグレナの創業に参画し、取締役として東証一部(現プライム)上場に貢献。「ミドリムシで地球を救う」活動に20年捧げた後、2025年、原点である地方創生を目指し「ニホンノチカラ」を創業。全国1,718市町村を巡り、地方の宝を発掘する「1718ニホン探索」を継続中。