若き担い手が「稼げる農業」に夢を託す、ピーマンの王国

八重瀬町(沖縄県)ーー1718ニホン探索(39/1,718)

八重瀬町は「ぐしちゃんピーマン」が有名

「地方発!日本再生」を掲げ、全国1,718の市町村を巡る私の旅。第39番目の訪問地として降り立ったのは、沖縄本島南部に位置する「八重瀬町(やえせちょう)」です。

那覇市内から車を走らせること約20分。都会の喧騒を抜けると、そこには驚くほど活気に満ちた、新しい沖縄の姿がありました。道路は綺麗に整備され、真新しい住宅地が並ぶ一方で、視線を移せば広大な畑と、太陽の光を反射して輝くビニールハウスが広がっています。

今回は、八重瀬町の誇る「農業」の最前線を知るべく、町役場の農林水産課を訪問しました。担当の方との対談を通じて見えてきたのは、単なる「伝統の継承」に留まらない、ビジネスとしての農業の力強い可能性でした。

訪問先のオリジナルソングを作っています。ぜひブログと共にお楽しみください。

(Yeah, Are you ready? 8-ridges in the house!)
東風平(こちんだ)から具志頭(ぐしかみ)、繋がるこのRoad
八重瀬の風に乗って、We letting you know
(Let's go!)

朝日に照らされる八つの畝(うね)
受け継ぐ魂、先祖の誇り胸に
富盛の石獅子(ともりのいしじし) 睨みを利かせ
村の災い 全て追い払え(Yeah)
東風平の街並み、歩けば香る
甘いマンゴーに 心も踊る
「しーぶん(おまけ)」はいらない、この愛が全て
八重瀬の未来、私たちが照らすから

八重瀬(やえせ)! 咲き誇るカンヒザクラ
八重瀬(やえせ)! 響けエイサー、魂のグラ(Ground)
海と緑が交差する この場所が my home
ちゃーがんじゅう(元気)でいこう、どこまでも
You know? ここが最高のあじまー(交差点)
波の音に呼ばれ 具志頭(ぐしかみ)浜へ
具志頭ボルダー、岩を登る 上へ上へ
ハナシロのビーチ 透き通るBlue
都会の喧騒、忘れてリニュー(Renew)
特産ピーマン、ツヤツヤのGreen
ドラゴンフルーツ、鮮やかなScene
汗水流して 耕すこの大地
「ぬちぐすい(命の薬)」だよ、おばぁの料理

いちゃりばちょーでー(一度会えば兄弟)
壁なんてない、この街の境界
昔ながらの棒術(ぼうじゅつ) 火花を散らし
守り抜く伝統、次の世代へ繋ぎ(繋ぎ)
あきさみよー!驚くほどのポテンシャル
八重瀬の魅力は エッセンシャル
八重瀬(やえせ)! 咲き誇るカンヒザクラ
八重瀬(やえせ)! 響けエイサー、魂のグラ(Ground)
海と緑が交差する この場所が my home
ちゃーがんじゅう(元気)でいこう、どこまでも
You know? ここが最高のあじまー(交差点)
八重瀬公園 夜景を見下ろし
誓うよ この街をずっと愛し(愛し)
1、2、3、4、5、6、7、8!
八重瀬の Ridge、止まらないBeat
(Yaese Town, forever and ever... Peace!)

「農業の町」としてのプライドと、新旧が共存する風景

八重瀬町は現在、人口約3万3千人を抱え、今もなお人口が増え続けている非常に稀有な自治体です。那覇市のベッドタウンとして区画整理が進み、かつては山だった場所が次々と住宅地へと生まれ変わっています。しかし、担当者の方は力強くこう言いました。「金額で見れば第3次産業が大きいですが、八重瀬はあくまで『農業の町』なんです」と。

町内を歩けば、その言葉の意味が肌で分かります。八重瀬町を象徴するのは、なんといっても「ぐしちゃんピーマン」です。沖縄県内におけるピーマン生産量の約6割をこの町が占めており、国からも「拠点産地」としての認定を受けています。

特筆すべきは、その栽培スタイルです。沖縄の強い日差しから作物を守り、温度や湿度を緻密に管理するために、至る所にビニールハウスが設置されています。特に冬から春にかけて収穫されるピーマンは、ハウス内で大切に育てられ、その品質は全国的にも高い評価を得ています。

八重瀬公園から眺めた八重瀬町

「儲かるから、やる」――若者が農業に群がる、地方再生の理想形

私が今回の取材で最も衝撃を受け、そして希望を感じたのは、担い手不足が深刻な全国の農村部とは正反対の現象が、ここ八重瀬町で起きているという事実でした。

「ピーマン農家には、どんどん若手が入ってきているんです」

そう語る担当者の方の言葉に、私は思わず身を乗り出しました。通常、地方の農業は「誇り」や「伝統」といった精神的な部分で跡継ぎを探すことが多いのですが、八重瀬町は違います。若者が農業を始める最大の理由は「儲かっているから」なのです。

「友人がピーマンで成功しているのを見て、脱サラして始める若者が増えています。親が農家でなくても、新規参入してくる子がいるんです」

これは、私が理想とする地方再生の形そのものです。どんなに立派な理念があっても、そこに経済的な持続性がなければ若者は定着しません。八重瀬町には、先人たちが築き上げてきた「ピーマン栽培」という確固たるビジネスモデルがあり、それがブランドとして確立されています。農家が農家を育てるコミュニティが機能し、技術が継承され、それがしっかりと利益を生む。「農業=かっこいい、稼げる」というサイクルが、この町には存在しているのです。

ぐしちゃん浜

「ぐしちゃんピーマン」を世界へ。GI登録という新たな武器

2024年1月、八重瀬町のピーマンは大きな転換期を迎えました。農林水産省の「地理的表示(GI)保護制度」に「ぐしちゃんピーマン」として登録されたのです。

肉厚で光沢があり、苦味が少なく、リンゴのような甘みさえ感じられる。そのクオリティは、もはや私たちが知るピーマンの域を超えています。現在はその多くが、より高い単価で取引される県外市場(主に関東圏)へと出荷されていますが、今後はこの「GIマーク」を武器に、ブランド価値をさらに高めていく戦略です。

一方で、課題も見えてきました。県外で高く評価される一方で、地元沖縄県内での「ぐしちゃんピーマン」としての認知度や流通をどう強化していくか。地産地消と高付加価値な外販のバランスをどう取るか。JAや町、そして農家が一体となって、この「宝」をどう磨き上げていくかが、次の10年の鍵を握ることになるでしょう。

「南の駅やえせ」や「アグリハウスこちんだ」では、「ぐしちゃんピーマン」を中心とした農産物や、新鮮な肉、卵が手に入ります。

歴史の重みを背負い、未来を拓く土地

対談の終盤、話題は八重瀬町の持つ「歴史的背景」にも及びました。沖縄本島南部は、琉球王朝時代からの聖地や遺跡が点在する一方で、沖縄戦における激戦地でもありました。

現在進められている区画整理事業でも、地面を掘れば文化財や、時には不発弾が出てくることもあるといいます。開発を進める際には必ず文化財の確認が必要であり、歴史を保存することと、新しい町を作ることの葛藤が常にそこにあります。

「最近は人骨よりも不発弾の方が多いですね」という担当者の方の言葉に、この地が背負ってきた痛みの深さを改めて痛感しました。しかし、そうした悲しい歴史を乗り越え、不発弾を一つひとつ処理しながら、人々は新しい家を建て、豊かな実りをもたらす畑を耕し続けています。この土地の持つ強靭な生命力こそが、まさに「ニホンノチカラ」の源泉ではないでしょうか。

訪問を終えて

八重瀬町での滞在は、私に大きな勇気を与えてくれました。 「地方には何もない」などというのは、都会の人間の勝手な思い込みに過ぎません。ここには、世界に誇れる「食」があり、それをビジネスとして成立させる「知恵」があり、そして何より、自分の故郷で挑戦し、豊かになろうとする「若者たちの情熱」があります。

私がユーグレナでミドリムシという小さな命に日本の未来を託したように、八重瀬町の若者たちは、ピーマンという一粒の種に自らの人生と地域の明日を託しています。

「地方発!日本再生」 その火種は、この南国の町で、確かに、そして熱く燃え上がっていました。

文化庁の「有形文化財」に登録されている「屋宜家」

八重瀬町の情報まとめ

沖縄県本島南部に位置する、人口約3.3万人の町。那覇市に隣接し、近年はベッドタウンとして急速に発展を遂げている一方で、広大な農地が広がる「農業の町」としての顔を持つ。2006年に東風平町と具志頭村が合併して誕生した。

産業: 農業が盛んで、特にピーマン、サトウキビ、サヤインゲンの生産が主力。中でもピーマンは県内随一の生産量を誇り、「ぐしちゃんピーマン」としてブランド化されている。また、マンゴーやドラゴンフルーツなどの南国フルーツ、畜産業(アグー豚)も盛ん。

文化・観光: 琉球王朝時代からの景勝地「八重瀬公園」は桜の名所として知られ、町内には「富盛の石彫大獅子(石獅子)」などの文化財も多い。また、沖縄戦の歴史を伝える「白梅の塔」や自然の洞窟「ガマ」が点在し、平和学習の地としても重要。

グルメ: 肉厚で甘みのある「ぐしちゃんピーマン」や「具志頭芋(紅芋)」などの新鮮な島野菜が特産。アグー豚やヤギ汁などの肉料理、トビウオの出汁を使った「八重瀬そば」など、独自の食文化が根付いている。

今回お話を伺った方

八重瀬町役場 農林水産課 担当者様 八重瀬町の基幹産業である農業の振興に尽力。特に「ぐしちゃんピーマン」のGI登録や、若手農家の育成、拠点産地としての補助事業活用などに精通している。地域の農家と密に連携し、単なる生産支援に留まらず、流通やブランディングの視点を持って町の活性化に取り組んでいる。

筆者プロフィール

福本 拓元(ふくもと たくゆき) 株式会社ニホンノチカラ 代表取締役。1975年愛媛県生まれ。18歳で渡米し、異文化の中で「日本の価値」を再認識。帰国後、株式会社ユーグレナの創業に参画し、取締役として東証一部(現プライム)上場に貢献。「ミドリムシで地球を救う」活動に20年捧げた後、2025年、原点である地方創生を目指し「ニホンノチカラ」を創業。全国1,718市町村を巡り、地方の宝を発掘する「1718ニホン探索」を継続中。