日本のサッカーはここから始まった!「サッカーの街」静岡県藤枝市が紡ぐ100年の歴史と、J1へと駆ける新たな夢
藤枝市(静岡県)ーー1718ニホン探索(48/1,718)
藤枝MYFCのホームスタジアム「藤枝総合運動公園サッカー場 」
「地方発!日本再生」を目指し、全国1,718すべての市町村を巡る私の旅。48番目の訪問地として降り立ったのは、「サッカーの街」としてその名を全国に轟かせる、静岡県藤枝市です。
今回お話を伺ったのは、藤枝市役所のスポーツ振興課「サッカーのまち推進室」のご担当者様。お会いした瞬間から、サッカーへの深い愛情と街への誇りが言葉の端々から溢れ出ているような、まさに藤枝らしい素晴らしい方でした。取材の前に、藤枝MYFCのホームスタジアムである藤枝総合運動公園内のスタジアムやミュージアムを見学させていただいたのですが、そこには私が想像していた以上の熱い歴史と、未来へ向けた挑戦のドラマが凝縮されていました。
訪問先のオリジナルソングを作っています。ぜひブログと共にお楽しみください。
Yeah, check 1-2... 駿河の国から届けるアンセム。 サッカーの街、緑の街、藤枝。 おいでよ、うちらのストリートへ。 耳をすませば、ほら、聴こえてくるら? Go!! 朝陽が昇れば 腹が鳴るもんで 向かうぜ志太(しだ)の店、暖簾をくぐって 「温」と「冷」のセット、これマストだに 朝からラーメン、これが藤枝スタイル! 藤のパルシェに、蓮華寺池(れんげじいけ) スタバのテラスでチルするサンデー だけど忘れちゃいねぇ、足元のボール 白と黒の弾道、魂に火を灯す! 藤枝東、紫のユニフォーム 王国を背負って立つ、これがうちらのホーム。 Welcome to FUJIEDA! お茶の香りが 風に舞う街 藤の花が揺れる 4月の終わり みんな繋がる、この場所だもんで! 瀬戸川沿いの 桜のアーチ 蹴り出す未来へ、パスを繋ぎな! (Yeah, yeah, We love our town!) ちょっと一息、お茶でも飲まざ? 「藤枝かおり」の香りに癒やされちゃう 瀬戸谷(せとや)の温泉、心もぽかぽか びく石(びくいし)登って、景色を眺めよ! 「それ、ばかいいじゃん!」って笑い合って 夕暮れ、駅南(えきなん)を歩くデート 静かだけど 熱いものがここにはある 寄り添い合って 生きてくサイクル。 あちこち行くのも いいけれども やっぱりここが 一番落ち着くもんで。 「明日のサッカーの試合、行くら?」 「もちろん!応援ばか頑張るに!」 玉露の深みみたいに ディープな絆 「おえ、やっきりするね」なんて言わせない この街で生まれ、この街でステップ踏む! Welcome to FUJIEDA! お茶の香りが 風に舞う街 藤の花が揺れる 4月の終わり みんな繋がる、この場所だもんで! 瀬戸川沿いの 桜のアーチ 蹴り出す未来へ、パスを繋ぎな! (Here we go! 藤枝、It's our home!) バイバイするのも 名残惜しいもんで… また明日、朝ラーの店で会おうね。 藤色の空に、ピースサイン。 Yeah... 藤枝City。 Peace out.
大正13年、野球全盛の時代に蒔かれた「サッカーの種」
まず私が驚かされたのは、藤枝が「サッカーの街」と呼ばれるようになったルーツの圧倒的な古さです。 その始まりは、今から100年以上も昔の大正13年(1924年)にまで遡ります。
当時、現在の藤枝東高校の前身である志太中学校の初代校長・錦織兵三郎氏が、日本中で野球が大ブームを巻き起こしていた最中に、あえてサッカー(当時は蹴球)を校技として導入したのがすべての起点でした。「サッカーこそが、生徒たちの心と体を最も激しく、そして美しく鍛え上げることができる。動きがあって観客にとっても見応えがある」という、当時としては極めて先進的な大決断だったそうです。
「当時は野球人気が圧倒的でしたから、周囲からの反対や困惑も相当なものだったようです」
ご担当者様がそう語る通り、常識を打ち破る挑戦にはいつの時代も摩擦が伴うものです。しかし、この一歩がなければ、今のサッカー王国・静岡は存在していなかったかもしれません。実は同じ静岡県の清水地区とも「どちらが元祖か」という微笑ましい文脈があるそうですが、大正の同時期にこのエリア全体で一気に熱が着火したことは歴史的な事実です。
さらに藤枝の凄みは、その熱を単なる学校の授業に留めず、地域文化として完全に根付かせた点にあります。なんと、今では全国どこにでもある「サッカースポーツ少年団」を日本で最初に組織したのも、昭和39年(1964年)の藤枝(山本直平氏らの尽力によるもの)なのだそうです。
その文化の深さを象徴する、面白いエピソードを伺いました。藤枝東高校では、今でも入学時の必須購入品として、教科書や上履きと並んで「サッカースパイク(現在はトレーニングシューズ)」が指定されるのだとか。サッカー部員だけでなく、全校生徒がマイシューズを持って体育の授業でボールを蹴る。この話を聞いた時、私は思わず「親御さんは大変ですね!」と笑ってしまいましたが、同時に、生活のすぐ隣にいつもサッカーがあるというこの街のカルチャーに、深い感銘を覚えました。
藤枝駅前
日本代表の遺伝子と、背番号9・10の奇跡
こうした土壌から、日本サッカー界のレジェンドたちが次々と誕生していったのは当然の帰結と言えます。 古くはベルリンオリンピックに出場した松永氏や笹野氏、そして私たちの世代にとって決定的なスターである中山雅史選手や名波浩選手も、この藤枝の地が育んだ宝です。
1998年、日本中が熱狂したフランスワールドカップ。日本の記念すべきW杯初ゴールを決めたゴン中山選手(藤枝市岡部町出身)と、当時の日本の司令塔として背番号10を背負った名波浩選手。日本の攻撃の核となった9番と10番の二人が、同じ藤枝という街の出身であったという事実は、今振り返っても鳥肌が立つほどの奇跡です。
そして、一世代下には、W杯3大会連続でキャプテンを務め、卓越した統率力で日本代表を支え続けた長谷部誠選手がいます。今回お話を伺ったご担当者様は、なんと藤枝東高校で長谷部選手の1つ下の後輩にあたり、同じグラウンドで汗を流していたというこれまた胸が熱くなるような個人エピソードも披露してくださいました。
現在、日本代表のコーチ陣には名波氏と長谷部氏が名を連ねています。国を代表する指導者が同じ街から同時に2名も出ていること自体、藤枝の持つ育成の底力を何よりも証明しています。
藤枝市特設サッカーミュージアム
「藤枝ブルックス」の無念を越えて、MYFCが紡ぐJ1への夢
藤枝のプロサッカーの歴史を紐解くと、もう一つマニアックで興味深いトピックがあります。かつてJリーグ入りを目指して活動していた「藤枝ブルックス」というチームの存在です。
当時、チームは実力的にプロ化を視野に入れていたものの、当時のスタジアム規格(キャパシティ等の問題)をクリアできず、藤枝でのJリーグ参入を断念せざるを得なくなりました。その結果、チームは1995年に福岡へと移転し、現在J1で活躍する「アビスパ福岡」の前身となったのです。
「見方を変えれば、藤枝という街はアビスパ福岡と、現在の藤枝MYFCという、2つのJリーグクラブを生み出した偉大な源流と言えますね」
私がそうお伝えすると、ご担当者様も深く頷いておられました。
そして現在、J2の舞台で活動を続けるのが「藤枝MYFC」です。 J3時代は平均1,700人ほどだった観客数が、J2昇格後は3,500人、4,200人、そして今や5,000人を超える規模へと急成長を遂げています。
もちろん、ここでもかつてブルックスを阻んだ「スタジアム要件」や「天然芝の練習場確保」というJ1基準の厳しい壁が再び立ちはだかっています。現在の総合運動公園はJ2基準は満たしているものの、J1へ昇格するためには1万5千人規模への改修など、クリアすべき課題が山積みです。しかしJリーグ側からも「昇格後に必ず改修すること」を条件とした特例的なライセンス交付の道が開かれており、街を挙げたバックアップが期待されています。
「兼任サポでもいい」――藤色に染まる街の、優しきおもてなしの心
藤枝MYFCの戦い方は、非常にユニークで調和に満ちています。 東には清水エスパルス、西にはジュビロ磐田という、Jリーグ草創期からの巨大な老舗クラブに挟まれた藤枝は、地理的に新規ファンの獲得が極めて難しい「狭間」に位置しています。
そこでMYFCが取った戦略は、無理に既存のファンを奪い合うのではなく、「エスパルスやジュビロを応援しながら、MYFCも応援してくれる『兼任サポーター』でいい。一緒に静岡のサッカーを盛り上げよう」という、非常に柔軟で寛容なスタンスでした。
この調和の精神は、スタジアムのサポーター文化にも鮮やかに現れています。藤枝MYFCのホームゲームでは、相手チームへの「ブーイング」をしないという美しい文化があります。アウェイの選手紹介の際にも、敵味方関係なく温かい拍手で迎え入れる――。激しい敵対心を煽る大都市のクラブとは一線を画す、地方ならではの「おもてなしの心」がそこにはあります。
街の花であり、イメージカラーでもある美しい「藤色(パープル)」は、藤枝東高校のユニフォームカラーであり、藤枝MYFCのチームカラーでもあります。街全体がひとつの色に染まり、100年の歴史をリスペクトしながら、新しいプロクラブの夢を全員で育んでいる。
「サッカーというテーマだけで、これほど深く市町村の歴史と未来を語れる場所は、全国を探しても藤枝市をおいて他にありません」
そう確信した、胸が熱くなる取材でした。地方には、まだまだ世界に誇るべき独自のストーリーが眠っています。藤枝MYFCがJ1の舞台へと駆け上がり、この美しい藤色のスタジアムから新たな日本代表が生まれるその日まで、私もひとりのサポーターとして、そして地方創生を目指す起業家として、この街の挑戦を応援し続けたいと思います。
藤枝は「お茶の街」という側面も持っています。
藤枝市の情報まとめ
静岡県の中部に位置する、人口約14万人の都市。大正時代に旧志太中学校へサッカーが導入されて以来、100年を超える歴史を持つ「サッカーの街」として全国的に知られています。志太榛原地域の中心都市として発展し、北部の豊かな山間部と南部の平野部が調和した、穏やかな気候に恵まれた暮らしやすい街です。
産業: お茶の栽培が盛んで、特に「藤枝かおり」などのブランド茶が有名です。また、豊富な水資源を活かした日本酒造りや、精密機械・化学工業などの製造業も発展しています。
文化・観光: 「サッカーの街」を象徴する藤枝総合運動公園や、かつて東海道の宿場町として栄えた「岡部宿」の大旅籠柏屋など、歴史とスポーツが融合した観光資源を有します。
グルメ: 朝からラーメンを食べる独自の食文化「朝ラーメン(朝ラー)」が有名で、温かいラーメンと冷たいラーメンをセットで食べるのが藤枝流です。
今回お話を伺った方
藤枝市役所 スポーツ振興課「サッカーのまち推進室」ご担当者様 静岡県藤枝市出身。名門・藤枝東高校サッカー部にて、現・日本代表コーチの長谷部誠氏の1学年後輩として共にグラウンドで汗を流した。高校卒業後もサッカーへの情熱を注ぎ続け、現在は藤枝市役所にて「サッカーの街・藤枝」の100年続く歴史の継承と、藤枝MYFCを中心とした地域密着型のスポーツ振興、J1ライセンス要件のクリアに向けたスタジアム周辺の環境整備やホームタウンにおける次世代育成プロジェクト「夢パス」の推進などに日々奔走している。
筆者プロフィール
福本 拓元(ふくもと たくゆき) 株式会社ニホンノチカラ 代表取締役。1975年愛媛県生まれ。18歳で渡米し、異文化の中で「日本の価値」を再認識。帰国後、株式会社ユーグレナの創業に参画し、取締役として東証一部(現プライム)上場に貢献。「ミドリムシで地球を救う」活動に20年捧げた後、2025年、原点である地方創生を目指し「ニホンノチカラ」を創業。全国1,718市町村を巡り、地方の宝を発掘する「1718ニホン探索」を継続中。









